三木のり平

(みきのりへい)
俳優・喜劇役者・演出家・コメディアン。同じくコメディアンで、漫画家や俳優も務める小林のり一の父。本名は田沼則子(たぬまただし)で、舞台出演当初は苗字を「三木」とした「三木則子」と名乗っていたが、印刷業者のミスによって「子」の字を「平」と間違ってプログラムに印刷されてしまったため、さらに「則」をひらがなにしてその後は「三木のり平」を芸名とするようになった。紫綬褒章・勲四等旭日小綬章受章者。

喜劇役者として、1950年、清水金一主演の喜劇映画「シミキンの無敵競輪王」にて銀幕デビューを果たす。その後、1956年には映画「のり平の三等亭主」で初主演も務めた。その後は、俳優・演出家・コメディアンとして幅広い分野で活躍した。特に、「ごはんですよ!」で有名な食品メーカーである株式会社桃屋のCMキャラクターとして知られており、1958年から1998年まで、40年間に渡ってお茶の間の人気を博した。

主な出演舞台には、酒井法子が主演を務めた「雪之丞変化」や、自らが座長を務めた「俺はお殿様」を始め、「アチャラカ誕生」「山猫理髪店」などがある。

主な出演映画には、上述した「シミキンの無敵競輪王」や「のり平の三等亭主」の他、「拾った人生」「陽気な探偵」「エノケンの天国と地獄」「新鞍馬天狗」「警察日記」「忘れないよ」「歌くらべ三羽烏」「へそくり社長」「はりきり社長」「社長道中記」「サラリーマン清水港」「社長漫遊記」「社長外遊記」「社長紳士録」「社長行状記」「社長千一夜」「ウッカリ夫人とチャッカリ夫人」「猫と庄造と二人のをんな」「ますらを派出夫会」「花嫁会議」「サザエさん」「裸の大将」「今年の恋」「ぶらりぶらぶら物語」「台所太平記」「とんかつ一代」「孫悟空」「ばりかん親分」「冷飯とおさんとちゃん」「スクラップ集団」「ミヨちゃんのためなら全員集合!!」「駅前温泉」「 駅前怪談」「駅前天神」「駅前大学」「駅前競馬」「駅前百年」「駅前探検」「駅前桟橋」「生まれかわった為五郎」「百点満点」「夜叉ヶ池」「翔べイカロスの翼 」「ブルージーンズ メモリー」「野蛮人のように」「火まつり」「そろばんずく」「ハチ公物語」「首都消失」「優駿 ORACION」「黒い雨」「あ・うん」「はいすくーる仁義」「課長島耕作」「ストロベリーロード」「欽ちゃんのシネマジャック」「SADA」「秘祭」などがある。

また、主な出演テレビドラマには、「若い季節」「竜馬がゆく」「エプロンおばさん」「お気に召すまま」「翔ぶが如く」「花嫁のれん」「男は度胸」「裸の大将放浪記」「ライスカレー」「水戸黄門」「ガキ大将がやってきた」「川は泣いている」「私は貝になりたい」「妻よ」「痛快・三匹が斬る!」「走らんか!」「すずらん」「新・半七捕物帳」「空の羊」などがある。

その他、CMにおいては、上述した桃屋のキャラクターを始め、「早川電気工業」「公共広告機構」(現・ACジャパン)などのCMにおいて、出演やナレーション役で活躍した。

著書に、「のり平のパーッといきましょう」「のり平媾戯録エロフェッサー・ゼミナール」などがある。

死因は、肝腫瘍であった。74歳。わずか数週間前に、末期の肝腫瘍と診断されたばかりの訃報であったが、その間、本人は投薬などの治療を拒否していたという。

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