三沢光晴

(みさわみつはる)
プロレスラー。

高校卒業後、1981年に全日本プロレスの門を叩き、ヒップアタックなどを得意技とする越中詩郎戦で公式デビュー。以後、ジャイアント馬場ジャンボ鶴田の下で着々とキャリアを積んでいった。

1984年からはジャイアント馬場の命を受け、佐山聡が扮する初代タイガーマスクの跡を継いで2代目タイガーマスクとして活躍。当時、マスクマン(覆面レスラー)は素顔を明かさないのが通例だったが、4年半程経過したのちに正体を明かす。それ以後も、超世代軍の「プロレス四天王」として活躍したり、全日本プロレスの社長に就任したりと、トップレスラーとして長きに渡って活躍。2000年に社長を解任されるものの、新団体「プロレスリング・ノア」を設立し、人気プロレスラーとしての活動は継続していた。

晩年は、長年の激しい試合によるダメージが蓄積されたせいか、脳神経や視神経に支障をきたし、視力障害など健康面に大きな不安を抱えていた。レスラーとしての激務に加え、経営者としてのストレスも大きかったものと推測される。

死因は、試合中の頭部強打による頸髄離断(けいずいりだん)であった。46歳。対戦中にバックドロップを受けて意識不明に陥り、救急蘇生措置が施されたのちに病院に緊急搬送されたが、助からなかった。当初、直接的な死因については公式発表がなかったが、その後の検視により、頸髄離断のためであることが判明。当人が受けたバックドロップは特に危ないものだったようには見えず、心労や疲労が蓄積した末の過労死に近いのではないかという関係者の話もある。

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