ジョー・ピニャタノ

元プロ野球選手・プロ野球指導者(アメリカ)。ポジションは捕手(キャッチャー)。ニューヨーク州ブルックリン出身。

1948年のハイスクール学生時代にブルックリン・ドジャーズと契約したものの、メジャーリーグデビューは1957年、実に契約から9年が経過してからだった。そのとき、当人は27歳。控え捕手として遅咲きのデビューであった。その後、ロサンゼルス・ドジャースに移籍、以後、カンザスシティ・アスレチックス、サンフランシスコ・ジャイアンツ、ニューヨーク・メッツと渡り歩いた。

ジョー・ピニャタノの名前を一躍有名にしたのは、引退を決めた1962年9月30日のシカゴ・カブス戦において、現役最後の打席を三重殺(トリプルプレー)で終えたという事実である。また、引退後はワシントン・セネタース 、ニューヨーク・メッツ、アトランタ・ブレーブスでブルペンコーチなどを務め、特にニューヨーク・メッツでは14年間の長きに渡って在籍し、同チーム躍進の立役者となった。また、コーチ業の傍ら、ブルペンでトマトを栽培していたことでも有名である。

現役時代の通算成績は、307試合に出場、161安打、ホームラン16本、打点62、盗塁8、打率2割3分4厘。レギュラーシーズン後の優勝決定戦であるワールドシリーズにも1度(1959年)出場している。

フロリダ州・ネイプルズにある介護施設にて死去。死因などの詳細は不明。92歳。直接死因となった病名など詳しいことは明らかにされていないが、認知症を患っていたという。

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