山本小鉄

(やまもとこてつ)
元プロレスラー・解説者・レフェリー。本名は「山本勝」(やまもとまさる)だが、元大相撲力士のプロレスラーであった豊登道春によって「山本小鉄」と命名された。

横浜市立横浜商業高等学校を卒業後、力道山が創設した日本プロレスに入門。彼の最後の弟子として知られている。1963年に魁勝司(かいしょうじ=本名・北沢幹之)との試合にてリングデビュー。以後、数多くの試合にて活躍、「人間爆弾」と呼ばれて称えられた。

現役時代の得意技は、足四の字固め、ハイジャック・パイルドライバー、ダイビング・ボディ・プレスなど。

引退後は、かつて新日本プロレスが運営していたプロレスラー養成所である「新日本プロレス学校」にて校長を務め、その指導ぶりから、「鬼軍曹」「鬼コーチ」と呼ばれて恐れられた。また、テレビ朝日系列で放送されていた人気プロレス中継番組「ワールドプロレスリング」では、古舘伊知郎らと組んで解説者としても活躍した。さらに、数々の名勝負においてレフェリーを務めていた印象も強い。

著書に、「あっ、ちょっと待ってください」「ザ・ストロングスタイル」「いちばん強いのは誰だ」「プロレス金曜8時の黄金伝説」「人生大学プロレス学部」「日本魂」などがある。なお、「あっ、ちょっと待ってください」のタイトルは、テレビ中継の解説者時代に審判部長も務めていたため、たびたびこのセリフと共に解説席を立って試合に介入していたことに由来する。

その真面目で一生懸命なキャラクターはバラエティ番組などでも重宝され、「天才!たけしの元気が出るテレビ」「筋肉番付」「登龍門・お笑い登龍門」「極楽とんぼのバスコーンつってんだろ!!」「おネプ!」など多数の番組に出演、お茶の間の人気を博した。そのほか、「ブスの瞳に恋してる」「毎度おさわがせします」といったテレビドラマへの出演、マクドナルドのCMへの出演など、多方面に渡って幅広い活躍を見せた。

死因は、低酸素性脳症であった。68歳。家族との旅行中に意識不明に陥り、病院に救急搬送されたものの、4日後に亡くなった。

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