田中好子

(たなかよしこ)
女優・歌手。1970年代に、藤村美樹・伊藤蘭とともに女性3人組のアイドルグループとして爆発的な人気を博した「キャンディーズ」の元メンバー。愛称は「スー」ちゃんで、メンバーカラーはブルー、立ち位置は最右だった。

元々キャンディーズは、1972年にNHK総合テレビで放送されていた「歌のグランド・ショー」のオーディションに合格したマスコットガールであり、当番組でアシスタントとして活躍していたほか、その年の年末恒例イベントである「紅白歌合戦」では、バックコーラスやバックダンサーを務めていたことはあまり知られていない。翌年、シングル曲「あなたに夢中」で歌手デビューするが、その人気を決定付け、スターダムにのし上げたのは、5枚目のシングル「年下の男の子」であった。

1978年、キャンディーズの解散とともに芸能界を引退するも、1980年にソロシングル曲「カボシャール」、およびソロアルバム「好子」を引っ提げてカムバックする。それらは爆発的な売り上げとはならなかったものの、以後は女優として活躍し、数多くの映画やテレビドラマ、テレビCMなどに出演する売れっ子となった。

出演した主な映画には、「ひめゆりの塔」「土佐の一本釣り」「夢千代日記」「おれは男だ!」「ゴジラ VS ビオランテ」「ゴジラ VS モスラ」「サラリーマン専科」「さくら」「鉄道員(ぽっぽや)」「リング0・バースデイ」「夢追いかけて」「インストール」「草の乱」「友情/Friendship」「ありがとう」「0からの風」「スマイル – 聖夜の奇跡」「深紅」「少年河内音頭取り物語」「明日への遺言」などがある。

出演した主なテレビドラマは、「おんな太閤記」「翔ぶが如く」「心はいつもラムネ色」「ちゅらさん」「おしん」「新・哀しみは女だけに」「愛のホットライン」「虹子の冒険」「妻たちは」「幸福の黄色いハンカチ」「あっけらかん」「さらば女ともだち」「誰もが信じられない!」「大奥」「親の出る幕」「愛の桟橋」「金曜日の妻たちへII」「瑠璃色ゼネレーション」「おやじのヒゲ」「ウエディングベルを鳴らすのは誰!?」「親戚たち」「みんなマドンナ」「銭形平次」「優しい報復」「家なき子」「秋の駅」「あのひとの髪」「凍えるキリン」「神様、何するの」「花嫁は16才!」「ビーチボーイズ」「この指とまれ2」「風になれ鳥になれ」「神様、もう少しだけ」「飛んで火に入る春の嫁」「最後に愛を見たのは」「終のすみか」「老いてこそなお」「プラトニック・セックス」「二つの嘘 – 同窓会殺人事件」「たったひとつの恋」「瞳スーパーデラックス」「よろずや平四郎活人剣」「私の頭の中の消しゴム」「彗星物語」「ひまわり」「佐々木夫妻の仁義なき戦い」「逆転夫婦の珈琲ワルツ」「嫁の座」「東京DOGS」「てのひらのメモ」「筆談ホステス」など、多数。

テレビCMでは、1992年より19年という長きに渡って出演していた兵庫県手延素麺協同組合の素麵製品「揖保乃糸」を始め、「ユーナス」(田辺製薬株式会社、現在の田辺三菱製薬株式会社)、「かもめ~る」(郵政省、現在の日本郵便)、「ビオレU」(花王株式会社)、「モルツ」(サントリー株式会社、現・サントリーホールディングス株式会社)、「おむすび山」(株式会社Mizkan(ミツカン))、「パスタロンクリームL」(佐藤製薬株式会社)など、多数。

そのほか、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」「ワイド!スクランブル」「世界一美しい散歩道」などのバラエティ番組や情報番組、「屋根の上のバイオリン弾き」といった舞台などでも活躍した。

東京都港区にある病院にて死去。死因は、乳癌であった。55歳。1992年に最初の乳癌が発見され、以後、再発を繰り返しながら19年の長きに渡って闘病生活を送っていたという。親族以外にこの事実は知らされず、仕事仲間やファンには辛い姿を一切見せずに仕事を続けていた。5ヵ月ほどまえに十二指腸潰瘍に罹ってしまい、治療に向けて絶食を行ったことで免疫力が下がり、病状が進行。容体を大きく悪化させてしまったとのこと。

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