(かねこしげじ)
プロモーター・金子ボクシングジム名誉会長。元プロボクサー。日本人初の東洋王者として有名。そのファイティングスタンスは「魅惑のパンチャー」との異名を取り、人気を博した。金子ボクシングジム会長を継いだ金子健太郎の父。
1931年、新潟県燕市生まれ。1950年、東京都目黒区にある笹崎ボクシングジムの所属ボクサーとしてプロデビューを果たし、1953年にはノンタイトル戦ながら世界王者のフラッシュ・エロルデに判定勝ちするなど、若くして頭角を現す。その後、ライト級に挑戦した時期もあったが、ほどなくしてフェザー級に落ち着く。
1953年、OBF東洋フェザー級王座タイトルマッチにて、チャンピオンに君臨していたフィリピンのラリー・バターンを破って王座を獲得(4回KO)。以後、6回に渡って防衛も果たした。1958年、網膜剥離の発症を理由に、現役を引退。通算成績は、65戦で54勝、うち33KO、10敗、引き分け1。引退後はトレーナーとしてボクシングジム勤務などを経て、1965年に金子ボクシングジムを設立。後進の育成に尽力した。
現役時代の主な表彰歴は、殊勲賞(1953年)、敢闘賞(1954年)、最優秀選手賞(1955年、1956年)など。
死因は、進行性核上性麻痺であった。84歳。