秋田Bスケ

(あきたびーすけ)
漫才師。第二次世界大戦中から戦後にかけて活躍した漫才コンビ「秋田Aスケ・Bスケ」で人気を集めた。通常の立ち位置は向かって左である。2人の関係はいとこ同士であるが、実は20代の若さで亡くなった先代の「秋田Bスケ」が存在し、彼は「秋田Aスケ」の双子の弟だった。

1926年、兵庫県生まれ。元々は歌手志望であったが、のちにコンビを組むことになる秋田Aスケに才能を認められてお笑いの世界へ。また、兵庫県宝塚市にある宝塚大劇場前にてお好み焼き屋も経営していた。

主な弟子に、一時期は秋田Kスケを名乗っていた横山ノックや、秋田イチカ・バチカ、秋田一号・二号、秋田Cスケ・Pスケなどがいる。

コンビとして数々の映画に出演しており、その作品には、「弥次喜多漫才道中」「漫才学校」「忍術御前試合」「漫才提灯」「花まつり男道中」「淑女夜河を渡る」「百万両五十三次」「伴淳・アチャコのおやじ教育」「親バカ子バカ」「かた破り道中記」「新吾二十番勝負」「てなもんや三度笠」「大阪ど根性物語 – どえらい奴」「喜劇 – 団地親分」などがある。

兵庫県宝塚市にある病院にて死去。死因は、急性循環不全であった。89歳。

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