(おおうちけいご)
政治家・元衆議院議員。最終的な所属政党は自由民主党。第76代、および第77代の厚生大臣を務めたほか、民社党委員長、政策審議会長、書記長、自由連合総裁、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、自民党東京都連最高顧問などの要職を歴任した。
1930年、東京府東京市(現在の東京都中央区)に生まれ、早稲田大学を卒業後、アメリカのイェール大学大学院留学などを経て政界入り。社会党の党政策審議会事務局長や副会長などを務めた。1976年、民社党公認で旧東京2区より衆議院議員総選挙に出馬し、初当選を果たす。以後、衆議院議員を通算で6期務め、細川護熙内閣総理大臣(当時)や羽田孜内閣総理大臣(当時)の下で厚生大臣を務めるなどした。
1996年の衆議院議員総選挙では、自由民主党公認で東京4区より出馬したが、落選。2000年の同選挙においても、自由民主党公認で比例東京ブロックにて出馬したものの、再び落選。これをもって政界を引退することとなった。
著書に、「われ、事に後悔せず」「朝のこない夜はない – 保革伯仲から連合時代へ」などがある。
東京都大田区にある病院にて死去。死因は、肺炎であった。86歳。