(はせがわごろう)
ボードゲーム研究家・ゲーム考案者・開発者。特に盤上ゲーム「オセロ」を考案したことで有名。元日本オセロ連盟会長。オセロの段位は名誉十段。英文学者で、茨城大学教授などを務めた長谷川四郎の息子。なお、「オセロ」と名付けたのは父の長谷川四郎である。
茨城県の水戸市に生まれ、茨城大学を卒業後、大手医薬品メーカーである中外製薬株式会社にMR(医薬情報担当者)として入社。怪我による入院中にオセロを考案し、その後の1972年、かつて存在した玩具メーカー・株式会社ツクダオリジナルの社長である佃義範と知り合い、長期契約を結ぶ。1973年、日本オセロ連盟を設立。以後、オセロは爆発的な人気を博し、世界的なボードゲームとなった。なお、オセロが生み出された経緯には、イギリスのゲームである「リバーシ」を改良したとの説が有力だが、当人の説明が二転三転したこともあり、真相は明確になっていない。また、オセロのほか、「グランドオセロ」「88オセロ」「ミラクルファイブ」「大碁」「ソクラテス」なども当人の考案によるものである。
著書に、「オセロ」「オセロ百戦百勝」「オセロの打ち方」「オセロ大観(シリーズ)」「オセロの勝ち方」「オセロ教室」「オセロ百人物語」「ソクラテスの打ち方」など。
千葉県柏市にある自宅にて病気療養中に死去。死因となった病名などの詳細は不明。83歳。