古賀稔彦

(こがとしひこ)
柔道家。元柔道日本代表。最終的な段位は九段(没後に昇格)。弘前大学大学院にて学位を取得し、元日本健康医療専門学校・校長といった顔も持つ医学者(医学博士)でもある。同じく柔道家である古賀元博の弟。やはり柔道家である古賀ひより・古賀颯人・古賀玄暉の父。旭日小綬章受章者。

1992年バルセロナオリンピック・男子71kg級での金メダル獲得、1996年アトランタオリンピック・男子78kg級での銀メダル獲得などの活躍で知られている。そのほか、オリンピックと同格の権威を持つ国際柔道連盟(IJF)主催の国際大会である世界柔道選手権にて、1987年のドイツ・エッセン大会で銅メダル、1989年の旧ユーゴスラビア・ベオグラード大会で金メダル、1991年のスペイン・バルセロナ大会で金メダル、1995年の日本・千葉大会で金メダルをそれぞれ獲得している。決して大柄ではない体躯から数々の鋭い技を繰り出し、特に一本背負いを得意とするその姿は、「平成の三四郎」と呼ばれ称えられた。

現役引退後は指導者に転身し、上述の日本健康医療専門学校・校長のほか、全日本柔道女子強化コーチ、全日本柔道連盟女子強化委員、環太平洋大学体育学部体育学科教授、同大学女子柔道部総監督などを歴任した。さらに2003年、神奈川県川崎市に柔道の町道場である「古賀宿」を開設。塾長として、2004年のアテネオリンピックで金メダルに輝いた谷本歩実など、数々の柔道家を育てた。

主な受賞歴に、日本オリンピック委員会が制定するJOCスポーツ賞の最優秀賞を始め、毎日スポーツ人賞(功労賞)、日本スポーツ賞(オリンピック特別賞)などがある。

神奈川県川崎市にある自宅にて死去。死因は、癌であった。53歳。2020年に同病に対する手術を実施、以後、療養生活を送っていた。

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