元サッカー選手。ブラジル代表のエースとしてチームを3回のFIFAワールドカップ優勝に導くなど、「サッカーの王様」(あるいは「サッカーの神様」)として世界的に有名。所属クラブは主に名門サントスFC。
20世紀においてのみならず、サッカー史上最高の選手の1人として、サッカーに携わる人だけでなく、多くのファンや一般人から、「キング」として崇められている。
日本にも度々訪れており、サントスFCの一員として国立競技場において日本代表と対戦したり、「ペレ・サヨナラゲーム・イン・ジャパン」と称して引退試合を日本で実施したりした。また、1993年のJリーグ開幕においては、その開幕戦を現地にて観戦した上、日本サッカーの新たなスタートに対して涙を流して歓喜したという。
獲得した個人タイトルは、FIFAワールドカップ・最優秀若手選手賞、サンパウロ州選手権得点王(11回)、南米年間最優秀選手賞、タッサ・ブラジル得点王(3回)、コパ・リベルタドーレス得点王、国際連合児童基金選定20世紀最優秀サッカー選手、ローレウス世界スポーツ賞(生涯功労賞)、BBC年間最優秀スポーツ選手生涯功績賞、北米サッカーリーグ最優秀選手賞など枚挙に暇がない。
プロ公式戦での通算成績は、1363試合出場、1281得点(諸説により若干の誤差や相違あり)。
その華麗な人生は、「炎のストライカー」「勝利への脱出」「ペレ 伝説の誕生」など、度々映画化もされている。
著書に、「ペレ自伝」「ワールドカップ殺人事件」「サッカーわが人生」など。
死因は、大腸癌進行などによる多臓器不全であった。82歳。晩年は結腸癌のために手術・入院を余儀なくされたり、呼吸器感染症に罹ったりするなど、健康状態に悩まされていた。彼の死に際し、サッカー選手やスポーツ関係者はもちろん、ジャイール・ボルソナーロ ブラジル大統領や、ジョー・バイデン アメリカ大統領、バラク・オバマ 元アメリカ大統領などまでもがコメントによってその死を悼んだ。