アンドレアス・ブレーメ

元サッカー選手・サッカー指導者(ドイツ)。西ドイツ代表として、1990年にイタリアで開催されたFIFAワールドカップ(W杯)での優勝に貢献したことで知られている。ポジションは主に左サイドバックとしてのDF(ディフェンダー)で、そのほかセンターハーフやウィングバックとしてMF(ミッドフィルダー)も務めた。

プレースキックの名手としてその名を轟かせていたほか、PK(ペナルティキック)やFK(フリーキック)といったセットプレイや、正確なクロスボールなどでも巧みなプレイを披露し、得点を手繰り寄せた。

西ドイツの港湾都市であるハンブルク生まれ。幼少時代からバルムベク=ウーレンホルストで監督を務めていた父の影響によりサッカーを始め、15歳で同チームのトップチームに昇格。1978年、18歳のときに公式試合デビューを果たす。1980年にザールブリュッケンに移籍し翌年まで所属、以後、カイザースラウテルン(1981~1986年)、バイエルン・ミュンヘン(1986~1988年)、インテル・ミラノ(1988~1992年)、レアル・サラゴサ(1992~1993年)、カイザースラウテルン(1993~1998年)と、イタリアリーグやスペインリーグも含めてクラブチームを渡り歩き、リーグ優勝も経験するなど長きに渡って活躍した。

また、西ドイツ代表としては1984~1994年で86試合に出場、8得点をあげているほか、上述した1990年のFIFAワールドカップ・イタリア大会では、決勝にてディエゴ・マラドーナ擁するアルゼンチンと対戦、後半40分にPKを決め、見事にそれが決勝点となって優勝を手に入れた。なお、その前回開催となる1986年のメキシコ大会では、決勝にてやはりアルゼンチンと対戦、その際は3対2で敗れており、見事に雪辱を果たした格好となった。1998年、37歳で現役選手を引退。以後、カイザースラウテルンの監督など、指導者としても活躍した。ドイツ・プロサッカーリーグのトップディビジョンであるブンデスリーガ1部での通算成績は、301試合に出場し、50得点。

個人として獲得した主なタイトルには、UEFA欧州選手権ベストイレブン(1984年・1992年)、バロンドール選出投票第3位(1990年)などがある。

ドイツ・バイエルン州の州都であるミュンヘンにて死去。死因は、心不全であった。63歳。

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