(おくしまたかやす)
法学者。元早稲田大学総長(第14代)。元日本高校野球連盟会長(第6代)。瑞宝大綬章、およびフランス教育功労章コマンドゥール受章者。高知県宿毛市名誉市民。
1939年、愛媛県北宇和郡生まれ。早稲田大学第一法学部を卒業後、同大学にて助手、専任講師、助教授などを経て、1976年に法学部教授に就任。1981年に教務部長、1990年には法学部長となった。さらに1994年から第14代の総長(学長・理事長)に就任し、2002年まで務めた。
その後2008年に、第5代会長であった脇村春夫氏の後任として、日本高校野球連盟の会長にもなった。野球経験はなかったものの、就任前より関わっていた特待生問題に取り組み、1学年につき5人以内とする「高校野球特待生制度」をルール化するなどの改革を進めた。2011年には、東日本大震災発生直後で開催が危ぶまれていた全国高校野球選手権大会(春の選抜甲子園大会)の開催に向け尽力し、義援金として入場料収入の一部を被災地に送るなど、同震災における被災者や救援者を応援する大会として成功させた。そのほか、2013年には、元プロ野球選手に対する学生野球資格回復条件の大幅緩和に向け、のちに日本高校野球連盟の第7代会長となる八田英二氏とともに精力的に取り組んだ。全国高校野球選手権が始まって100年を迎える節目となった2015年、夏の甲子園大会を終えたあとの9月に退任したが、高校野球の歴史に大きな名前を刻んだ功労者として現在もなお称えられている。
上述した早稲田大学関連の役職のほか、白鷗大学学長、公益財団法人ボーイスカウト日本連盟理事長、株式会社大京社外取締役、埼玉県公安委員会委員長、日本インターネット新聞株式会社取締役、公益財団法人朝鮮奨学会評議員、消費者金融サービス研究学会常任理事、日本私立大学連盟顧問、法科大学院協会会長、財団法人野村国際文化財団理事、財団法人大川情報通信基金理事長、財団法人旭硝子奨学会理事、財団法人水と緑の惑星保全機構理事、公益財団法人パブリックヘルスリサーチセンター理事長、特定非営利活動法人日本自動車殿堂顧問、特定非営利活動法人富士山クラブ理事長、日本相撲協会運営審議委員会委員など、数々の要職も歴任した。
著書(編著・共著を含む)に、「フランスの利益参加制度 – 西独との対比」「プレップ会社法」「会社法の基礎・事件に学ぶ会社法入門」「大隈の夢と早稲田大学の責務」「フランス競争法の形成過程」「現代企業法の理論と動態」「ユニバーシティ・ガバナンス」「早稲田大学新世紀への挑戦」「志立大学早稲田の実現」「西北への旅人」「志立大学早稲田の人づくり」「備えよ常に – 平和を欲するのであれば、戦いに備えよ」「君は決して一人ではない!」「会社はだれのものか」「鐘の鳴る街早稲田」「改正商法の解説」「企業結合と法」「商法キーワード」「フランスの政治 – 中央集権国家の伝統と変容」「アメリカの政治 – ガリバー国家のジレンマ」「スウェーデンの政治 – デモクラシーの実験室」「昭和商法学史」「法学の根底にあるもの」「生涯学習と高等教育」「イタリアの社会・遅れて来た「豊かな社会」の実像」「ノルウェーの経済 – 石油産業と産業構造の変容」「商法の歴史と論理」「大学国際交流事始」「新基本法コンメンタール」「日韓の企業買収防衛策の理論と現状」など、多数。
東京都内にある病院にて死去。死因は、肺炎であった。85歳。