千葉三郎

(ちばさぶろう)
政治家・元衆議院議員。労働大臣を務めたほか、第35代宮城県知事(1945年10月~1947年3月)や東京農業大学学長、時事新報社取締役、早川石油専務取締役、日本硫鉄社長、南米拓殖取締役、大日本実業組合連合会理事、鐘紡監査役などの要職も歴任した。所属政党は、最終的に自由民主党。勲一等瑞宝章・勲一等旭日大綬章受章者。

千葉県茂原市に生まれ、東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業後、三菱鉱業(現在の三菱マテリアル株式会社)への勤務などを経て、1925年、旧千葉2区の衆議院議員補欠選挙に出馬。初当選を果たす。以後、一旦は政界を離れ、時事新報社取締役や日本硫鉄社長などを務めたが、1945年に宮城県知事に就任して政治家に復帰。1947年の初の公選でも当選し、1948年まで務めた。1949年には、旧宮城1区より衆議院議員総選挙に出馬して当選、国会議員となる。1976年、のちに文部大臣を務めた石橋一弥に地盤を譲るまで、労働大臣や自民党タカ派議員リーダー、治安対策特別委員会委員長などを務めながら、長年に渡って衆議院議員であり続けた(通算当選回数12回)。

死因などの詳細は明らかになっていない。85歳。訪問先であるメキシコ合衆国の首都メキシコシティにて死去した(客死)。

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