坂本九

(さかもときゅう)
歌手・俳優・タレント。「九ちゃん」の愛称で広く国民に親しまれた昭和を代表する芸能人の1人。女優である柏木由紀子の夫。歌手・シンガーソングライターである大島花子、および女優・歌手・実業家である舞坂ゆき子の父。日本の歌謡界を代表する楽曲である「上を向いて歩こう」「明日があるさ」「見上げてごらん夜の星を」など数々の大ヒット曲を歌い、全世界でのレコード売り上げ総数は1,500万枚に達すると言われている。歌手のみならず、俳優として映画やテレビドラマ、舞台などにも数多く出演したほか、バラエティ番組やクイズ番組の司会などもこなした。

発表したシングル曲には、上述した「上を向いて歩こう」(アメリカなどの諸外国では「スキヤキ」というタイトルで発売されている)や「明日があるさ」、「見上げてごらん夜の星を」といった代表曲を始め、「幸せなら手をたたこう」「涙くんさよなら」「世界の国からこんにちは」「いつもアイラヴユー」「ボクの星」「戦場に陽は落ちて」「レッツ・ゴー物語」「九ちゃんのツンツン節」「帰りたい僕」「困っちゃうよ」「夜明けの唄」「サヨナラ東京」「あした天気になーれ」「幸せのうた」「僕が君なら」「レットキス(ジェンカ)」「ラヴ・ラヴ・ラヴ」「少女」「太陽はさんさん」「若者たち」「蝶々」「おねがいです」「遠い昔の母の胸に」「わかるだろう」「みんなでつくろう」「誰かと誰かが」「ぼくにまかせておくれ」「クラップ・ユア・ハンド」「泣きたくなったら空を見よう」「何かいいことありそうな」「自由への旅立ち」「あの時の約束」「夢みる子ねこ」「親父」「マイタウン・マイハート」「懐しきlove-song」「心の瞳」などがある。

アルバムでは、「九ちゃんとパラキン」「九ちゃんの歌」「坂本九リサイタル」「九ちゃん明治を歌う」「坂本九ひっと・ぱれーど」「ターニング・ポイント」「坂本九全曲集」など。また、没後も追悼の念を込めて多くのアルバムが発売されており、その作品の一部には、「坂本九 メモリアル・ボックス」「BEST NOW 坂本九 – 上を向いて歩こう」「VERY BEST OF KYU SAKAMOTO」「坂本九 ゴールデン☆ベスト」「坂本九メモリアルベスト」「CD&DVD THE BEST 〜 上を向いて歩こう」「ベスト坂本九99」「坂本九 ベスト ~ 心の瞳」などがある。

NHK(日本放送協会)による年末恒例の大規模歌番組「紅白歌合戦」には、1961年から1971年まで、11回の連続出場を誇っている。そのほか、現在に至るまで、当人の楽曲を他のアーティストが歌うシーンは枚挙に暇がない。

俳優として出演した映画には、「上役・下役・ご同役」「山のかなたに(シリーズ)」「アワモリ君乾杯!」「上を向いて歩こう」「九ちゃん音頭」「九ちゃんの大当りさかさま仁義」「ひとりぼっちの二人だが」「若い季節」「見上げてごらん夜の星を」「ジェリーの森の石松」「男嫌い」「幸せなら手をたたこう」「ガリバーの宇宙旅行」「坊っちゃん」「ハイウェイの王様」「君は恋人」「九ちゃんのでっかい夢」「新八犬伝」「泣きながら笑う日」などがある。

テレビ番組・テレビドラマでは、「夢であいましょう」「教授と次男坊」「7時にあいまショー」「フジ三太郎」「イチ・ニのキュー!」「水戸黄門」「キイハンター」「特捜記者」「九ちゃんのハッティタウン物語」「名もなく貧しく美しく」「壬生の恋歌」「ふれあい広場・サンデー九」「キッチンパトロール」「スター千一夜」「クイズEXPO’70」「なるほど!ザ・ワールド」「スター誕生!」「たんけんぼくのまち」「買ッテ来ルゾト勇マシク」「ジャンボクイズ100対100」など。

主な受賞歴に、日劇ウエスタンカーニバル新人賞、アメリカ・ゴールドディスク(日本人初)、古賀政男記念音楽大賞など、多数。

死因は、飛行機事故であった。43歳。死者数520名に上り、日本の民間航空史上最悪の事故と言われている日航ジャンボ機墜落事故(日本航空123便墜落事故)に巻き込まれて死去。本来、当人は日本航空(JAL)ではなく基本的に全日空(ANA)を利用していたが、この日はANAが満席で座席が確保出来ず、仕方なく日本航空123便のチケットを手配し、搭乗していた。家族も常時ANAを利用する旨を知っていたため、日本航空の事故と聞いた当初は当人が乗っていることはないと信じていたという。なお、第二次世界大戦中の疎開先であった茨城県笠間市にある笠間稲荷神社を信仰しており、遺体の身元を特定する決め手となったのは、普段から身に着けていたという笠間稲荷のペンダントだった。誰もが予期しなかった突然の死は、その存在感と影響力の大きさから、音楽界・歌謡界のみならず、芸能界や福祉業界など広範囲にわたって多大な損失を及ぼすものとされた。

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