古関裕而

(こせきゆうじ)
作曲家。描いた曲風は、「古関メロディー」(略して「コセメロ」)と呼ばれ、気品のある格調高さが多くの人々からの支持を獲得した。作曲した楽曲総数は5,000に上ると言われている。楽器を使わずに頭の中で作曲し、同時に複数の曲を創作するスタイルが特徴。声楽家・詩人である古関金子の夫。福岡県福島市名誉市民。紫綬褒章・勲三等瑞宝章受章者。

クラシックからポピュラー音楽、歌謡曲、流行歌、映画音楽、軍歌など、幅広いジャンルの楽曲を手掛けたほか、早稲田大学応援歌の「紺碧の空」、慶應義塾大学応援歌の「我ぞ覇者」、 全国高等学校野球選手権大会(甲子園大会)テーマ曲の「栄冠は君に輝く」、阪神タイガースの球団歌「大阪(阪神)タイガースの歌」(六甲おろし)、読売ジャイアンツ(巨人)の球団歌「巨人軍の歌」(闘魂こめて)など、今なお多くの人々に親しまれ、歌い続けられている伝統曲を作ったことで有名。

そのほかの作品には、「福島行進曲」「皇軍行進曲」「恋の哀愁(エレジー)」「河原すすき」「大敦賀行進曲「慰問袋を」「浜は九十九里」「憧れの荒鷲」「愛國の花」「暁に祈る」「嗚呼北白川宮殿下」「野口英世」「花と乙女」「みんな揃って翼賛だ」「英国東洋艦隊潰滅」「アメリカ爆撃」「シンガポール晴れの入城」「かちどき音頭」「戦ふ東条首相「ラバウル海軍航空隊」「ビルマ派遣軍の歌」「フィリピン沖の決戦」「嗚呼神風特別攻撃隊」「女子挺身隊の歌」「比島決戦の歌」「アイウエオの歌」「雨のオランダ坂」「とんがり帽子」「夜更けの街」「フランチェスカの鐘」「都市対抗を讃える野球の歌」「ドラゴンズの歌」「私のドラゴンズ」「東急フライヤーズの唄」「福島県スポーツの歌」「われらが愛知」「さくらんぼ大将」「白いランプの灯る道」「ひめゆりの塔」「君の名は」「ジロリンタンのうた」「いつだったかな」「滋賀県民の歌」「百万石音頭」「郡山市民の歌」「君は遙かな」「忘れ得ぬ人」「二本松少年隊」「オリンピック賛歌」「スカイラインの歌」「モスラの歌」「スカーレット・オハラ」「串本ぞめき」「ああ甲子園」「わがまち春日井」「日立物流社歌」「安宅家の人々」「赤いカンナの花咲けば」「がめつい奴」「放浪記」「長崎の鐘」など、枚挙に暇がない。

クラシック音楽の分野では、「五台のピアノのための協奏曲」「ヴァイオリン・チェロのための協奏曲」「和歌を主題とせる交響楽短詩」「大地の反逆」「竹取物語」「亡き愛児に捧ぐる歌」「線香花火」などがある。

また、上述した早稲田大学や慶應義塾大学の応援歌のほか、数々の大学・高等学校・中学校・小学校における応援歌や校歌、さらには自治体の歌、企業の社歌なども手掛けている。

著書に、「鐘よ鳴り響け – 古関裕而自伝」「風景の調べ – 古関裕而スケッチ集」など。

受賞歴に、日本レコード大賞(特別賞)、NHK放送文化賞、放送文化基金個人部門賞などがある。

神奈川県川崎市にある病院にて死去。死因は、脳梗塞であった。80歳。僅か1週間前に、80歳の誕生日(傘寿)を迎えたばかりであった。

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