織田幹雄

(おだみきお)
陸上競技選手・陸上競技指導者。紫綬褒章受章者。文化功労者(陸上界からの認定は初)。東京都名誉都民・東京都渋谷区名誉区民。その他、広島県でも名誉県民に認定されている。朝日新聞運動部部長・早稲田大学教授・陸上競技日本代表総監督・国際陸上競技連盟(IAAF)強化委員長なども歴任した。受賞歴に、国際オリンピック委員会オリンピック功労賞など。

1928年のアムステルダムオリンピックにおいて、三段跳にて金メダリストを獲得。これは、オリンピックにおける日本人初の金メダルとなったのみならず、アジア人としても初めての快挙であった。記録は15m21cm。なお、自身としての記録は、後に15m58cmまで伸ばしている。

当時は日本人が陸上競技で金メダルを獲るなど考えられない時代であり、その偉業に世界中が驚きを隠せなかったが、実は前回大会である1924年のパリオリンピックにおいても、三段跳びで6位入賞を果たしている。

生前の陸上競技におけるその功績から、「陸上界の父」「陸上の神様」などとも呼ばれ称えられた。「織田フィールド」「織田幹雄記念陸上競技場」「織田幹雄スクエア」「織田幹雄記念国際陸上競技大会」など、当人の名前を冠した施設やイベントは、現在でも多数存在する。

著書(監修を含む)には、「世界記録を目ざして」「オリンピック物語」「陸上競技」「スポーツの見方」「陸上競技五十年」「世界記録は破れる」「オリンピック」「私の信条」「東京オリンピック」「陸上競技百年」「金メダル」「最新陸上競技入門」「わが陸上人生」「陸上競技わが人生」「織田幹雄わが陸上人生」「陸上競技ヨーロッパ転戦記」「欧米スポーツ行脚」「トラック技術」「フィールド技術」「記録をうちたてた人々」「40歳からのランニング入門」「疾走スピード」「左ききのためのゴルフ入門」「砲丸投・ハンマー投」「走幅跳」「棒高跳」「走高跳」「運動力学による陸上競技の種目別最新技術」「三段跳」「炎のスプリンター」「織田幹雄スポーツ資料目録」「プレッシャーへの挑戦」など、枚挙に暇がない。

病院にて死去。死因詳細不明。93歳。

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