今村昌平

(いまむらしょうへい)
映画監督・映画プロデューサー・脚本家。映画監督を始め、脚本家や俳優といった映画スタッフを数多く輩出している日本映画学校(現・日本映画大学)の創設者としても知られている。中学時代の同期には、小説家・SF作家である星新一らがいる。旭日小綬章・フランス共和国芸術文化勲章受章者。

世界三大映画祭の1つ、カンヌ国際映画祭において、2度に渡って最高賞(パルム・ドール)を受賞している日本映画界の巨匠(1983年「楢山節考」、及び1997年「うなぎ」にて)。その他、同映画祭ではフランス映画技術高等委員会賞も受賞している(1989年「黒い雨」にて)。

その他の受賞歴に、ヴェネツィア国際映画祭(ユネスコ連盟賞)、ブルーリボン賞(新人監督賞、監督賞、脚本賞、作品賞、特別賞)、日本アカデミー賞(最優秀監督賞、最優秀脚本賞、会長特別賞)、キネマ旬報賞(監督賞)、毎日映画コンクール(脚本賞、監督賞)、日刊スポーツ映画大賞(監督賞)、高崎映画祭(最優秀作品賞)、川喜多賞など、枚挙に暇がない。

早稲田大学第一文学部を卒業後、1951年、神奈川県鎌倉市に存在した映画スタジオ「松竹大船撮影所」に入社。1954年には映画製作・配給会社である日活株式会社に移籍。その間、助監督や脚本を手掛けながらキャリアを積み、1958年、監督として「盗まれた欲情」でデビューを果たす。以後、数々の秀作を生み出し、世界中から高い評価を受けることとなった。

主な監督作品に、上述したデビュー作「盗まれた欲情」や、カンヌ国際映画祭で賞を受賞した「楢山節考」「うなぎ」「黒い雨」を始め、「にあんちゃん」「にっぽん昆虫記」「人間蒸発」「復讐するは我にあり」「神々の深き欲望」「ええじゃないか」「カンゾー先生」「赤い橋の下のぬるい水」「女衒」「赤い殺意」などがある。

助監督や脚本を手掛けた作品には、「東京物語」「風船」「わが町」「幕末太陽傳」「飢える魂」「キューポラのある街」「競輪上人行状記」「東シナ海」「勾魂艶鬼」「青春の殺人者」「ユリ子からの手紙」「君は裸足の神を見たか」「中国超人インフラマン」「ゆきゆきて、神軍」など。

また、著書(共著・編著を含む)には、「にっぽん昆虫記」「今村昌平のええじゃないか」「映画は狂気の旅である」「撮る」「今村昌平のええじゃないか」「教育者・今村昌平」「サヨナラだけが人生だ – 映画監督川島雄三の生涯」「講座日本映画」「村岡伊平治自伝」などがある。

東京都渋谷区にある病院にて死去。死因は、転移性肝腫瘍であった。79歳。

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