池田元久

(いけだもとひさ)
政治家・元衆議院議員(当選6回)。党名などの変化に従い、日本社会党、社会民主党、旧民主党を経て、現在の民主党に所属。菅直人内閣総理大臣(当時)の下で経済産業副大臣や財務副大臣を務めたほか、厚生労働委員会委員長、外務委員長、衆議院懲罰委員長などの要職を歴任した。また、東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故の発生当初においては、現地対策本部長も務めた。旭日重光章受章者。

1964年に早稲田大学を卒業後、日本放送協会(NHK)での記者生活などを経て、1990年の衆議院議員総選挙に旧神奈川4区より出馬、初当選を果たした。しかしながら、1993年に実施された次の衆議院議員総選挙では、日本新党や新政党などの躍進を受けて落選。その後、1996年に行われた次の衆議院議員総選挙に出馬、当選して国政復帰を果たす。2005年の衆議院議員総選挙では再び落選し、比例復活もできなかったものの、翌年、「平成の爆弾男」と呼ばれた永田寿康の辞職により、繰り上げ当選した。

2010年に菅直人内閣において野田佳彦が財務大臣に就任したのと同時に、財務副大臣に就任。同年、同じく菅直人内閣(改造内閣)において経済産業副大臣に就任した。2012年の衆議院議員総選挙では神奈川6区より出馬したものの、落選。比例復活もならず、国政から遠ざかることとなった。

東京都内にある病院にて死去。死因は、肝細胞癌であった。83歳。死去の事実は、近親者で葬儀を営んだあと、亡くなってから4日後に明らかとなった。

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