大賀典雄

(おおがのりお)
実業家・企業家。世界的に有名な総合電機メーカーであるソニー株式会社の相談役・名誉会長、元社長・CEO(最高経営責任者)・会長。そのほか、ソニー商事株式会社社長、CBS・ソニーレコード株式会社(現在の株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント、略称:SMEJ)初代社長、社団法人経済団体連合会副会長、東京商工会議所副会頭などの要職を歴任。藍綬褒章、勲一等瑞宝章、ドイツ連邦共和国功労勲章(大功労十字星章)、フランス・レジオンドヌール勲章受章者。

一方で、元声楽家・バリトン歌手という異色の経歴の持ち主で、東京文化会館館長、財団法人東京フィルハーモニー交響楽団会長および理事長も務めた。ピアニストである松原緑の夫でもある。

東京芸術大学の音楽学部声楽科を卒業後、西ドイツに渡り、ミュンヘン国立高等音楽大学やベルリン国立芸術大学音楽学部にて学ぶ。女優・声楽家である田中路子の紹介でオーストリアの世界的な指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンと知り合うなどの経験を積み、帰国。

東京芸術大学の在学中から既に、テープレコーダーへのクレームがきっかけで東京通信工業(のちのソニーグループ株式会社)の嘱託社員となっており、西ドイツからの帰国後、バリトン歌手として活動しながら、同社に正社員として正式入社。1年目から製造部部長に抜擢されるなど頭角を現し、デザイン室長、広告部長などを経て、1964年に34歳の若さで取締役に就任。グループ会社の社長などを経て、1982年にソニー株式会社の社長に就任。1989年よりCEO(最高経営責任者)も兼務。新規事業を積極的に展開するなど、同社グループの成長に貢献。アメリカのコロンビアピクチャーズやCBSレコードを買収するなど、国内のみならず海外における発展も牽引した。

その後、ソニーの会長・名誉会長を歴任。忙しい合間を縫って音楽活動にも勤しみ、1990年に60歳記念で東京フィルハーモニー・オーケストラを指揮したことを始め、世界各国の名門オーケストラとの共演経験がある。また、2001年には中国・北京においてオーケストラの指揮を行っている最中に倒れてしまい、長期療養を余儀なくされたこともあった。ベルリンの壁の跡地であるポツダム広場・再開発地区にソニー・センターを建設した際には、その落成式典でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮。ベートーヴェンの交響曲第9番を見事に演奏し、大きな話題となった。

2003年にソニーの取締役を退任、2006年に相談役に就任した。

著書に、「私の履歴書/SONYの旋律」などがある。

東京都内にある病院にて死去。死因は、多臓器不全であった。81歳。

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