山岸章

(やまぎしあきら)
労働運動家。労働組合の中央組織である「連合」(日本労働組合総連合会、略称:JTUC)の初代会長。勲一等瑞宝章受章者。

そのほか、情報通信産業労働組合連合会・委員長、全国電気通信労働組合(全電通)・委員長、国際郵便電信電話労働組合連盟(PTTI)・会長などの要職を歴任した。

大阪府大阪市に生まれ、海軍航空隊への入隊などを経て、第二次世界大戦後に富山県に移住。郵便局勤務などを続ける傍らで、労働運動に参加するようになる。1950年には全電通富山県支部・書記長となり、以後、1953年に全電通大阪電信支部・書記長、翌1954年に全電通近畿地方本部・執行委員、さらに翌1955年に全電通中央本部・執行委員となるなど、順調にキャリアを重ねていった。

1987年には、全日本民間労働組合連合会が結成され、副会長兼会長代理に選出される。また、1989年に日本労働組合総連合会(連合)が結成された際には、初代会長に就任した。1994年に会長を辞任したものの、その後も労働界に多大なる影響を及ぼし続け、与野党の政治家から頼りにされていた。

死因は、老衰であった。86歳。晩年は、胃癌であることが判明し手術を受けたこともあった。

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