後藤立夫

(ごとうたつお)
俳人・企業家。俳誌「諷詠」主宰。同じく俳人である後藤比奈夫の息子。「諷詠」の4代目主宰を務める和田華凜の父。俳人協会名誉会員。日本伝統俳句協会会員。

1943年に生まれ、私立最難関の1つと言われている灘中学校・灘高等学校を経て、東京大学に入学。なお、絵を描くことを何よりも好み、その道に進みたかったものの、母親の説得によって芸術大学への進学を諦めて東京大学に進学したという逸話がある。東大卒業後は、上述した「諷詠」や「ホトトギス」の同人として活動しながら、新菱冷熱工業株式会社の専務取締役や、新菱エコビジネス株式会社の社長なども務めた。それらを退任したのち、2012年に「諷詠」の主宰となる。

句集に、「見えない風」(第1句集)、「祭の色」(第2句集)、「祇園囃子」(第3句集、遺作)がある。

兵庫県芦屋市にある病院にて死去。死因は、肺癌であった。72歳。上述した通り、絵を描くことが好きだったため、死去の直前までスケッチブックと画筆を手放さなかったという。遺作となった第3句集の「祇園囃子」には、本人が生前に描き溜めていた絵の中から選ばれた作品が、各章の扉ページに使用されている。

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