アントニオ猪木

(あんとにおいのき)
元プロレスラー・政治家・実業家。女優・倍賞美津子の元夫。

「燃える闘魂」のキャッチフレーズや「元気ですか!」の掛け声で有名。ジャイアント馬場と並び、日本を代表するプロレスラーの1人。プロレスラーを引退したあとは、政治家(国会議員)としても活躍した。

神奈川県横浜市に生まれ、経済的な理由から、少年時代にブラジルに移住。現地では陸上競技に精を出していたが、やがてブラジルを遠征していた力道山の目に留まり、帰国の上、日本プロレスに入団する。

当初は本名である「猪木寛至」(いのきかんじ)をリングネームとしていた。デビュー戦は、原爆頭突き(ヘッドバット)で有名な大木金太郎であった。

1972年には、自ら「新日本プロレス」を旗揚げし、ジャイアント馬場が率いる「全日本プロレス」との2強団体によるプロレス黄金時代に突入する。以後、ボクシングのWBA・WBC世界ヘビー級統一王者であったモハメド・アリとの異種格闘技を行うなど、世界中のレスラーや格闘家と数々の死闘を繰り返し、自団体の枠のみにとらわれない幅広い活躍でプロレス界の発展に多大なる影響をおよぼした。1998年、東京ドームにて開催された引退イベント「ファイナルイノキトーナメント」を最後に、現役を引退。

また、まだ現役プロレスラーであった1989年、スポーツ平和党を結成し、参議院議員通常選挙に出馬。初当選を果たし、国会議員としての道も並行して歩み始めることとなる。以後、湾岸戦争における日本人人質の解放や、朝鮮との親善などに尽力。特に、朝鮮への訪問は30回近くにおよんだ。

2020年、自身が特定疾患(難病)の1つである「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」に罹っていることをTwitterにて発表(当時は病名を「心アミロイドーシス」としていた)。以後、闘病生活に入るものの、病状が進行してからも、車椅子姿でメディアに出演するなど、復帰への闘志は衰えることがなかった。

東京都港区にある自宅にて死去。死因は、全身性トランスサイレチンアミロイドーシスによる心不全であった。79歳。

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