森下知幸

(もりしたともゆき)
高校野球指導者・元選手。2016年より、静岡県御殿場市に本拠を置く私立高等学校である御殿場西高等学校の野球部監督。高校野球界の名監督として全国にその名を知られている。

これまでに、母校である浜松商業高等学校や、日本大学三島高等学校、常葉学園菊川高等学校など、静岡県内に存在する高校で野球部監督を歴任した。特に、常葉学園菊川高等学校(現在の常葉大学附属菊川高等学校)では、これまで甲子園で勝利のなかった同校野球部を強豪に成長させ、静岡代表として2007年に春の選抜高校野球大会(甲子園大会)に出場。見事に全国制覇(優勝)を成し遂げている。

1961年に静岡県で生まれ、静岡県立浜松商業高等学校の野球部にて内野手としてキャプテンを務め、1978年の選抜高校野球大会では優勝を果たしている。卒業後も社会人野球を続け、中部電力の一員としてプレイした。1981年、浜松商業高等学校の指導者(コーチ)に就任。1984年に監督として初めて甲子園に出場した。

輝かしい実績の一方で、監督を務めた野球部では不祥事が続き、自らも取材に訪れた女性記者とのトラブルなどによって謹慎処分を受けたこともあった。

静岡県伊豆の国市にある病院にて死去。死因は、大動脈瘤破裂であった。62歳。

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