稲垣次郎

(いながきじろう)
サックス奏者・音楽プロデューサー。日本を代表するコミック・ジャズ・バンドであった「ハナ肇とクレージーキャッツ」の前身である「ハナ肇とキューバン・キャッツ」結成時のメンバーとして知られている。

高校生である1950年前後から既にプロとして活躍し、ジャズ・トランペット奏者である日野皓正と共に「白木秀雄クインテット」に参加したこともあった。1962年に自身の音楽グループである「稲垣次郎クインテット」を結成。1963年には、アメリカの著名なジャズ・ミュージシャンで、ジャズ・ヴィブラフォンの第一人者としても知られるライオネル・ハンプトンの日本公演にも参加した。1969年には、「稲垣次郎とソウル・メディア」を結成。以後、ピンク・レディーや西城秀樹らのステージでバックバンドのリーダーを務めた。日本国内に留まらず、海外からも大きな人気と高い評価を獲得しているミュージシャンの1人。

主な発表アルバムには、「真夏の夜のロック」「サムシング」「明日にかける橋」「ウッドストック・ゼネレイション」「道祖神 – やぶにらみ民謡考 -」「女友達」「さようならの紅いバラ」「街は風の港」「純潔」「イン・ザ・グルーヴ」「オメルタの掟」「メモリー・レーン」「ファンキー・スタッフ」(以上、稲垣次郎とソウル・メディア)、「思案橋のひと」「知りすぎたのね」「港町ブルース」「Tenor Sax」(以上、稲垣次郎とオール・スターズ)、「R&Bのすべて」「Beatles Hit!Hit!」(以上、稲垣次郎とリズム・マシーン)、「Funky Best」(稲垣次郎 & ヒズ・フレンズ)、「Jazzy」(稲垣次郎とジャスト・フレンズ)などがある。

東京都新宿区にある病院にて死去。死因は、肺炎であった。90歳。2023年まで演奏活動を継続していた。なお、死去の事実は2ヵ月近くが経過してから明らかとなり、マスコミなどで報道された。

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