明武谷力伸

(みょうぶだにりきのぶ)
元大相撲力士。元関脇・明歩谷として知られている。本名は明歩谷清(みょうぶだにきよし)。

北海道阿寒郡(現在の釧路市)に生まれ、高島部屋に入門、1954年の春場所にて初土俵を踏む。その後、1959年の名古屋場所にて新入幕を果たした。主に大鵬と柏戸がライバルとして隆盛を極めた「柏鵬時代」」に活躍し、1961年の秋場所では両者とともに三つ巴の優勝決定戦を戦ったこともある(惜しくも優勝はならなかった)。189cmという長身を活かした「つり」や豪快な「うっちゃり」で、「八頭身力士」「七人の侍」「人間起重機」など数々の異名を取り、精悍で彫りの深い顔立ちと筋肉質な体格を有していたこともあって特に女性ファンから絶大なる人気を博した。なお、四股名は当初の明歩谷清から明歩谷清之輔、明歩谷清、明武谷清、明武谷巖、吉葉洋一覺などと移り変わり、最終的な明武谷保彦まで11回の改名歴がある。

幕内での通算成績は、58場所に在位し、414勝450敗、6休。勝率4割7分9厘。三役在位は13場所(関脇5場所・小結8場所)。殊勲賞4回、敢闘賞4回、雷電賞3回。大鵬には2度に渡って連勝するなど「大鵬キラー」とも呼ばれ、通算での金星は3個。

引退後は年寄「中村」を襲名し、審判委員などを務めていたが、1977年1月場所を最後に日本相撲協会を退職。角界から去ることになった。その後はビル清掃業などに従事していたという。

死因は、老衰であった。86歳。

タイトルとURLをコピーしました