ロブ・カーマン

元キックボクサー(オランダ)。1980年代後半、低迷していたキックボクシング界に参戦して盛り上げるとともに、K-1やリングスでも戦いながら、日本における格闘技ブームの一翼を担ったことで知られている。

オランダの首都アムステルダムに生まれ、幼少時代はサッカーに興味を持ち、地元のサッカークラブであるアヤックス・アムステルダム(AFCアヤックス)のユースチームに所属するなど将来を期待された選手だった。一方で、本人はチームスポーツでの活躍に限界を感じ、個人競技である格闘技に関心が向き始める。19歳でオランダにおけるキックボクシングの名門ジムであったメジロジムに入門すると、ほどなくして頭角を現してA級に昇格。その後はWKAフルコンタクト・世界ミドル級王座などのタイトルを数多く獲得し、「欧州の帝王」として国際的にも有名になった。当時はインターネットが普及していなかったため、雑誌などを通じて日本の格闘技ファンにもその名が知れ渡り、1987年に初来日を果たす。

1989年には全日本キックボクシング連盟の日本武道館大会でメインイベントを担い、当時中心人物として君臨していたドン・中矢・ニールセンをノックアウトした。翌1990年の同大会でも再びメインイベントを務めるなど、低迷していた日本のキックボクシング界を活性化し、格闘技ブームを生み出すきっかけを作った。

そのほか、前田日明が設立したリングスにも参戦、数々の日本人格闘家を相手に激戦を展開。さらにはK-1にも参戦し、1995年にフランスで開催されたK-1の中量級部門である「K-2 France Grand Prix’95」(K-2グランプリ)では優勝を果たした。

生涯戦績は、通算で112試合を戦い、97勝(うち77KO)12敗1分け(2無効試合)。「ミスター・ローキック」と呼ばれるほどの巧みなローキックに左フックを絡めたスタイルと、「対角線のコンビネーション」と称されたオランダ式のコンビネーションで次々と勝ち星を重ね、世界中から高い人気を博した。

獲得した主なタイトルには、上述したWKAフルコンタクト世界ミドル級王座を始め、IKBFフルコンタクト世界ライトヘビー級王座、PKAフルコンタクトヨーロッパ王座、IMTF世界ムエタイライトヘビー級王座、ISKAフルコンタクト世界ミドル級王座、ISKAオリエンタル世界ライトヘビー級王座などがある。

現役を引退したあとは、アメリカでトレーナーとして後進の育成に尽力していた。

死因などの詳細情報は明らかになっていない。63歳。死去の事実は、家族のSNS(Instagram)によって公表された。

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