フジコ・ヘミング

ピアニスト(スウェーデン国籍)。本名は、ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ。スウェーデン人の建築家であるヨスタ・ゲオルギー・ヘミングを父親に、日本人ピアニストである大月投網子を母親に持つ。俳優である大月ウルフの姉でもある。人間味に溢れる情熱的な演奏で、「魂のピアニスト」と呼ばれ人気を博した。一方で絵画を嗜み、個展を開くこともあった。

1932年、ドイツ・ベルリン生まれ。幼少時代に来日し、母の影響でピアノを始める。ロシアの著名ピアニストであるレオニード・クロイツァーに師事し、「天才少女」と呼ばれるなど早くから頭角を現した。青山学院高等部在学中にデビューコンサートを開催し、その後、東京藝術大学に進学。NHK毎日コンクール入賞や文化放送音楽賞受賞を果たすなど着々とキャリアを重ね、卒業後に日本フィルハーモニー交響楽団といったオーケストラと共演するなど本格的な音楽活動を開始。ほどなくして国立ベルリン音楽大学へ留学し、ヨーロッパで活動を行った。

16歳のころに風邪と中耳炎の悪化で右耳が聴こえなくなっており、さらにヨーロッパでは左耳の聴力も失うなどの苦難も味わったが(治療によりのちに4割ほど回復する)、1999年に日本放送協会(NHK)のドキュメンタリー番組「フジコ 〜 あるピアニストの軌跡 〜」で半生を取り上げられると大きな反響を呼び、60代後半にして社会現象を巻き起こすほどの絶大なる人気を獲得することになる。第1作のアルバムである「奇蹟のカンパネラ」は、クラシック音楽としては異例のダブルミリオン(200万枚)を達成する大ヒットを記録。日本ゴールドディスク大賞「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」も受賞した。また、「憂愁のノクターン」「フジ子・ヘミングの奇蹟 〜 リスト&ショパン名曲集」「フジ子・ヘミングこころの軌跡」といったアルバムでも同賞を受賞している。アルバムタイトルにもなっているフランツ・リストのピアノ曲「ラ・カンパネラ」の演奏は代名詞とされ、心を揺さぶる演奏で多くの人を魅了した。

発表したアルバムは、上述した「奇蹟のカンパネラ」「憂愁のノクターン」「フジ子・ヘミングの奇蹟 〜 リスト&ショパン名曲集」「フジ子・ヘミングこころの軌跡」を始め、「トロイメライ」「リスト:ピアノ協奏曲 第1番」「雨だれ」「ショパン・リサイタル」「イングリット・フジコ・ヘミング」「ラ・カンパネラ1973」「エリーゼ」「リスト&ショパンコレクション」「マリオ・コシック」「魂の響き ~ フジコ・ヘミングの世界 ~」など、多数。

著書に、「奇蹟のカンパネラ」「フジ子・ヘミング魂のピアニスト」「紙のピアノの物語」「フジ子・ヘミング耳の中の記憶」「あなたに届けば」「イングリット・フジコ・ヘミング – 私が歩んだ道、パリ」「パリ音楽散歩」「たどりつく力」「フジコ・ヘミング運命の言葉」「青い玉」「希望の力 – くじけない、あきらめない心」「くよくよしない力」「永遠の今」「ねことワルツを」「フジコヘミング絵画集」などがある。

その半生は、上述したNHKのドキュメンタリー番組「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」のほか、「フジ子・ヘミングの軌跡(フジテレビ)」「中居正広の金曜日のスマたちへ(TBS)」「関口博の人生の詩II(BS-TBS)」など数々のテレビ番組で取り上げられ、当人自身も出演するなどした。さらに、市川準が監督を務めた2000年の作品「ざわざわ下北沢」を始め、いくつかの映画にも出演を果たしている。

死因は、膵臓癌であった。92歳。2023年まで世界各地で演奏活動を行っていたが、自宅での転倒により11月以降の公演をキャンセル。さらに2024年3月からは、膵臓癌のために療養生活を送っていた。死去の事実は、葬儀などが近親者によって執り行われたあと、亡くなって11日が経過したのちに「フジコ・ヘミング財団」より発表された。

タイトルとURLをコピーしました