木戸幸一

(きどこういち)
政治家・官僚。近代日本における侯爵でもあった。昭和天皇の側近の1人だったことで知られている。政治家・宮内官・華族である木戸孝正の息子。工学者である和田小六の兄。華族・女官長である井上和子の父。帝都復興記念章・紀元二千六百年祝典記念章・勲一等瑞宝章受章者。

東京府東京市赤坂区(現在の東京都港区)に生まれ、京都帝国大学(現在の京都大学)を卒業後に農商務省へ入省、公職の道を歩み始める。二・二六事件の処理などで昭和天皇に認められ、側近として中央政治にも関与するようになり、文部大臣、厚生大臣、内務大臣などの要職を歴任。1940年には、予定されていた東京オリンピックの開催権返上を決定するなどの重要な判断も行った。二・二六事件を処理する際に連携した東條英機を内閣総理大臣に推薦するなど、その後も第二次世界大戦前後の混乱期において重要な動きを見せたが、敗戦後は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって戦争犯罪容疑で逮捕され、A級戦犯(終身禁錮刑)とされた。しかしながら判事団のジャッジによりすんでのところで死刑を免れ、健康状態の悪化を理由に仮釈放されることになる。

著書や関連書籍に、「展觀目録」「東京裁判における木戸証言 – 軍政最後の権謀をあばく旋風時代の宮廷秘史」「木戸幸一関係文書」「木戸幸一日記」「少年滿洲讀本」などがある。

宮内庁病院にて死去。死因は、胆汁性肝硬変であった。87歳。

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