湯川秀樹

(ゆかわひでき)
物理学者・理学博士(大阪帝国大学)。専門は、理論物理学。1949年、日本人として初となるノーベル賞(物理学賞)を受賞したことで世界的に有名。京都大学名誉教授、大阪大学名誉教授。ロンドン王立協会外国人会員。京都府京都市名誉市民。文化勲章、従二位勲一等旭日大綬章、ローマ教皇庁科学アカデミー勲章、西ドイツ・プール・ル・メリット勲章、各受章者。地質学者で、京都大学名誉教授である小川琢治の息子。冶金学者で、東京大学教授も務めた小川芳樹、および東洋史学者で、京都大学名誉教授でもある貝塚茂樹の弟。中国文学者で、京都大学名誉教授でもある小川環樹の兄。

特に、理論物理学における中間子理論の提唱において多大なる功績を残し、上述したノーベル物理学賞以外にも、日本学士院の名誉ある賞である恩賜賞や、ロシアの最高学術機関であるロシア科学アカデミーが授与するロモノーソフ金メダルなどを受賞している。

主な著書(共著・編著を含む)に、「量子力学序説」「物理講義」「素粒子論序説」「β線放射能の理論」「非局所場の理論」「目に見えないもの」「存在の理法」「最近の物質観」「思考と観測」「極微の世界」「物質観と世界観」「創造への飛躍」「創造への飛躍」「私の創造論 – 同定と結合」「物理学に志して」「旅人・ある物理学者の回想」「湯川秀樹日記」「自己発見」「天才の世界」「科学者のこころ」「科学と人間性」「外的世界と内的世界」「現代科学と人間」「しばしの幸」「心ゆたかに」「この地球に生れあわせて」「詩と科学」「科学を生きる」「宇宙と人間・七つのなぞ」「科学者の創造性」「学問と人生」「原子核及び元素の人工転換」「科学と文学」「物理学の方向」「原子核論」「宇宙線及び中間子論」「物理学通論」「京都・わが幼き日の・・・」「素粒子」「新しい世界の伝記」「人間にとって科学とはなにか」「核時代を超える – 平和の創造をめざして」「日本文化の創造」「人間の再発見」「科学と人間のゆくえ」「人間の発見」「統計物理学」「核軍縮への新しい構想」「平和の思想」など、多数。

京都府京都市にある自宅にて死去。死因は、急性肺炎に伴う心不全であった。74歳。晩年は前立腺癌を患い、手術には成功したものの療養しながら仕事を続けていた。特に最晩年は健康状態が悪化し、外出の際にも車椅子に頼るような生活を送っていた。

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