高田渡

(たかだわたる)
歌手・ミュージシャン・フォークシンガー。多くのミュージシャンやアーティスト、さらにはジャンルを超えて俳優やタレントにまで影響を与えた、フォークソング分野における草分け的存在として有名。ギターを始め、オートハープ・マンドリンなどの楽器も操るマルチプレイヤーでもある。弦楽器奏者である高田漣の父。

1969年2月、人気フォークグループであった「五つの赤い風船」とのカップリングアルバムを発売。これが事実上のレコードデビューとなった。シングル曲としては、同じく1969年の4月に「大・ダイジェスト版三億円強奪事件の唄」、さらには同年に「転身」及び「自衛隊に入ろう」を発表。以後、36年に及ぶ音楽活動において数々のシングル・アルバムをリリースし、社会風刺や労働者の苦難、反戦思想などを淡々とメッセージに込めて歌い上げる独特の世界観が人気を博した。その背景には、事業に失敗し、貧しい生活を強いられながらも、志を高く持って明るく前向きに生きた父親の姿が原点になっている。

主な発表曲に、上述した「大・ダイジェスト版三億円強奪事件の唄」「転身」「自衛隊に入ろう」を始め、「当世平和節」「自転車にのって」「さびしいといま」「酒が飲みたい夜は」「生活の柄」「自転車にのって」「よろん小唄」「夕暮れ」「仕事さがし」などがある。

発表アルバムには、上述した「五つの赤い風船」とのカップリングアルバムの他、「汽車が田舎を通るそのとき」「ごあいさつ」「石」「系図」「ねこのねごと」「渡」「FISHIN’ ON SUNDAY」「日本に来た外国詩・・・。」などがある。

その他、1971年には山本コウタローらと共にジャグ・バンド「武蔵野タンポポ団」を結成、岐阜県で開催された「全日本フォークジャンボリー」に参加した他、アルバム「武蔵野タンポポ団の伝説」「もうひとつの伝説」をリリースしている。

さらには、出演や楽曲(主題歌)提供などの形で映画にも携わっており、その作品に、「吉祥寺夢影」「吉祥寺発・赤い電車」「赤い橋の下のぬるい水」「とどかずの町で」「フリック」「まるでいつもの夜みたいに」などがある。

著書に、「個人的理由」「マイ・フレンド – 高田渡青春日記」「バーボン・ストリート・ブルース」など。

病院にて死去。死因は、心不全であった。56歳。ライブ終了後に突然倒れ、病院に救急搬送されたが約2週間後に亡くなった。

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