竹入義勝

(たけいりよしかつ)
政治家・元衆議院議員。所属政党は、自由民主党から公明政治連盟となり、その後、公明党。公明党の初期時代、約20年に渡って委員長を務めたことで有名。勲一等旭日大綬章受章者。

1926年、長野県出身。日本国有鉄道(国鉄、現在のJR東日本)への勤務などを経て創価学会に入り、1959年、東京都文京区議会議員選挙に出馬。初当選を果たす。1963年には、東京都議会議員選挙に立候補し、当選。1964年に、同年結成された公明党に参加、副委員長に就任。

その後、国政に打って出るべく、1967年1月の衆議院議員総選挙に公明党公認候補として旧東京10区より出馬、当選を果たす。同年2月に、41歳にして第3代の公明党委員長に就任。以後、矢野絢也書記長と共に約20年に渡って公明党を率いながら、党勢力を拡大した。これにより、日本の政界は保守・革新の2極体制から、保守・中道・革新の3極体制になった。なお、衆議院議員は8期務めた。

1972年の日中国交正常化では、たびたび中国を訪問して周恩来首相と会談するなど、田中角栄内閣総理大臣(当時)の下、日中両国間における橋渡し役に徹した。

1986年、公明党委員長を退任し、最高顧問に就任。1990年の衆議院議員選挙には立候補せず、政界より引退した。引退後の1998年には、公明党とその支持母体である創価学会の「政教一致」を指摘したことなどで対立し、厳しい批判を受けたのちに除名処分となった。

福岡県福岡市内にある病院にて死去。死因は、肺炎であった。97歳。

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