土本典昭

(つちもとのりあき)
映画監督・作家。手掛ける作品は、ルポルタージュ(現地に赴いて独自に取材した内容)や記録映画である。ノンフィクション作家で介護福祉士でもある土本亜理子の父。

ジャーナリストを志し、早稲田大学在学中から日本共産党に所属し学生運動などを展開。武装闘争を指向した非合法極左テロ組織「山村工作隊」にも参加した。1956年、戦後日本にかつて存在した記録映画会社である岩波映画製作所への入社を経て、翌1957年にフリー。日本国有鉄道(国鉄)がPR映画として企画した「ある機関助士」で監督デビューを果たす。

以後、主にドキュメンタリー映画を中心に数々の映画を生み出し続け、藤本幸久・西山正啓など、多くのドキュメンタリー映画監督も育てた。水俣病の問題に取り組み、患者の現状を伝える作品を撮り続けたことでも知られている。

主な受賞歴に、教育映画祭一般教養映画最高賞、日本映画ブルーリボン賞(教育文化映画賞)、文部省芸術祭賞(奨励賞、文部大臣賞)、ベルリン映画青年文化賞、毎日映画コンクール賞(社会記録部門最高賞、記録映画最高賞)、日本紹介映画コンクール銀賞、ヴェネツィア国際映画祭特別審査委会賞、世界環境映画祭グランプリ、スイス・ベルン映画祭銀賞、マンハイム映画賞デュキヤット賞など、枚挙に暇がない。

主な作品には、「シベリヤ人の世界」「ドキュメント・路上」「水俣・患者さんとその世界」「水俣一揆・一生を問う人々」「医学としての水俣病」「不知火海」「原発切抜帖」「海とお月さまたち」「水俣病 – その20年 -」「原発切抜帖」「よみがえれカレーズ」「はじけ鳳仙花・わが筑豊わが朝鮮」「在りし日のカーブル博物館1988年」「もうひとつのアフガニスタン」「ミナマタ・井戸を掘ったひと」「みなまた日記・甦える魂を訪ねて」「ひろしまのピカ」などがある。

また、書籍としての著作に、「逆境のなかの記録」「映画は生きものの仕事である」「不知火海水俣病元年の記録」「されど、海 存亡のオホーツク」「不敗のドキュメンタリー・水俣を撮りつづけて」「映像で記録する・水俣 – 患者さんとその世界」など。関連書籍として、娘である土本亜理子の著作「緩和ケア病棟のある診療所で過ごして – 記録映画作家・土本典昭、最期の日々」などがある。

千葉県南房総市にある病院にて死去。死因は、肺癌であった。79歳。

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