石本美由起

(いしもとみゆき)
作詞家。第二次世界大戦後の混乱期において、未来に向けて必死に生き抜く日本人に対し、前向きな歌詞で希望をもたらし続けた昭和歌謡界を代表する作詞家の1人。なお、「みゆき」は本名(表記は「美幸」)で、男性である。勲三等瑞宝章受章者。

1944年、海軍大竹海兵団に入隊後、体調を崩して入院。病院にて、戦争で負傷した兵士たちが歌によって元気づけられるのを目の当たりにし、その魅力とパワーを知ったことが作詞家となったきっかけである。

以後、数々のヒット曲において作詞を担当。その他、JASRAC(日本音楽著作権協会)理事長、日本作詩家協会会長、日本音楽作家協会理事長、日本音楽作家団体協議会副会長などの要職も歴任した。

芸能界のみならず、政治界・文学界など、各界に幅広い人脈を持つことから、「作詞界の田中角栄」などと評されたこともある。

作詞を手掛けた主な作品に、「哀愁本線」(石川さゆり)、「浪花盃」(五木ひろし)、「女の駅」(大月みやこ)、「浅草姉妹」(こまどり姉妹)、「東京の人さようなら」(島倉千代子)、「さだめ川」(ちあきなおみ)、「薄幸花」(藤あや子)、「ひばりのマドロスさん」(美空ひばり)、「矢切の渡し」(細川たかし)、「おんなの海峡」(都はるみ)、「愛傷歌」(森昌子)、「無情念仏」(畠山みどり)、「酒きずな」(天童よしみ)、「大ちゃん数え歌」(吉田よしみ)、「矢切りの渡し」(瀬川瑛子)、「渡り鳥いつ帰る」(コロムビア・ローズ)などがある。

その他、小学校・中学校・高校などの校歌や、著名企業の社歌なども手掛けた。また、作詞を担当した作品の多くが日本レコード大賞などの賞を受賞したほか、自身も日本作詩大賞グランプリなどの栄誉を多数受けている。

神奈川県横浜市内にある病院にて死去。死因は、心不全であった。85歳。晩年は糖尿病を発症し、健康状態に不安を抱えていたという。

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