大野一雄

(おおのかずお)
舞踏家・ダンサー・パントマイム師。19世紀の終わりごろから20世紀の始まりにかけてドイツで生まれたタンツテアターやアメリカの劇場舞踏といった幅広いジャンルにおよぶ「モダンダンス」を手掛けるダンサー(モダンダンサー)としても知られている。

北海道函館市に生まれ、琴やオルガンをたしなむ母親と、ロシア語を操る父親の下、モダンな家庭で育つ。20代前半のときに、スペインの舞踏家・振付師であるラ・アルヘンティーナが来日し、その舞台を観て魅了されたことがきっかけとなり、舞踏家としての道を歩むことを志した。

以後、「江口隆哉・宮操子舞踊研究所」への入門などを経て、1949年に「大野一雄舞踊研究所」を創設。舞踏家としてさらに活躍を極めるとともに、後進の指導にも尽力した。2001年には、イタリアのボローニャに本部を構えるボローニャ大学に、自らの研究室である「大野一雄研究室」も開設した。

主な公演歴に、「大野一雄現代舞踊」(1949~1951年)、「土方巽 DANCE EXPERIENCE の会」(1960年、1961年)、「アルトー館公演」(1966年など)、「まんだら屋敷」(1968年)、「一艘のカヌー桜の木の下を往く」(1979年)、「ラ・アルヘンチーナ頌」(1981年、1985年など)、「パフォーマンスと講演」(1984年、1985年など)、「死海」(1985年など)、「睡蓮」(1988年など)、「花鳥風月」(1990年など)、「石狩の鼻曲がり」(1991年など)、「小栗判官照手姫」(1992年、1994年など)、「夢の一日」(1995年など)、「わたしのお母さん」(1996年、1998年など)、「テロスを消去…1999」(1999年)、「我が母の教え給いし歌」(2003年)、「大野一雄百歳の日」(2006年)など、枚挙に暇がない。

著書に、「舞踏譜 – 御殿、空を飛ぶ」「わたしの舞踏の命」「百年の舞踏」「石狩の鼻曲り」「秘する肉体 – 大野一雄の世界」「稽古の言葉」「魂の糧」などがある。

主な受賞歴に、舞踊批評家協会賞、神奈川文化賞、日本文化デザイン賞、ミケランジェロ・アントニオーニ芸術賞、横浜文化賞、朝日舞台芸術賞(特別賞)など、多数。

神奈川県横浜市内にある病院にて死去。死因は、呼吸不全であった。103歳。

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