安達智次郎

(あだちともじろう)
元プロ野球選手(投手)。1992年秋のドラフト会議で、読売ジャイアンツ(巨人)に入団した「ゴジラ」こと松井秀喜選手の外れ1位として阪神タイガースから1位指名されたことで有名。なお、「安達克哉」(あだちかつや)という登録名で活動していた時期もある。

1974年、兵庫県神戸市生まれ。小児癌を患うなど幼少時代から健康状態に悩まされていたが、小学校3年のときに完治。それをきっかけにソフトボールや野球を始め、中学時代に投手として頭角を現す。神戸村野工業高等学校時代には、全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)や全国選抜高等学校野球大会(春の甲子園大会)にもエースとして出場。いずれも初戦敗退したものの、大型サウスポー投手としてプロ野球のスカウトから大きな注目を集めた。

1992年度のドラフト会議にて、上述した通り松井秀喜選手が獲得できなかった阪神タイガースより1位指名を受けてプロ入り。1993年5月、ウエスタン・リーグ公式戦(二軍戦)にて近鉄バファローズとの試合に先発し、デビューを果たす。1995年より登録名を「安達克哉」にするも、思うような成績が残せず、1997年シーズンに本名の「安達智次郞」に戻す。しかしながらその後も本来の実力を発揮しきれず、1999年シーズンを最後に現役を引退するまで、一軍での出場機会に恵まれることはなかった。

現役引退後は、阪神タイガースにて打撃投手に就任するなど裏方として活動。そのほか、焼酎バーの経営や、大学野球部の特別コーチなども務めた。

死因は、肝不全であった。41歳。2015年より、肝臓の疾患により入退院を繰り返す生活を送っていたという。

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