阿部雅龍

(あべまさたつ)
冒険家・人力車夫。

秋田県秋田市で生まれ、秋田大学に在学中からヒッチハイクや野宿を繰り返しながら旅をしていた。冒険活動に注力するため2年間の休学を決意し、実際に休学して資金を貯めた上、南米大陸で標高5,000mの高地を超える自転車縦断を実践。10ヵ月に渡るこの挑戦における走行距離は、約1万1,000kmにおよんだという。

秋田大学卒業後は上京し、東京・浅草で人力車夫として活躍する傍ら、引き続き冒険家として活動。アマゾン川にて約2,000kmにおよぶいかだ下り、人力車を引いて故郷である秋田を含めた東北を一周(約1,500km走破)、グリーンランド北極圏単独徒歩(約750㎞)など、次々と挑戦を成功させた。また、著名な登山家であるラインホルト・メスナーが開拓したという「メスナールート」を日本人として初めて単独踏破し、南極大陸を917.7km歩いて南極点に到達した。さらに、2021年から2022年にかけては、同郷・秋田県出身の南極探検家である白瀬矗が目指したという「白瀬ルート」での南極点到達に単独徒歩で挑戦したが、悪天候などにより断念。とはいえ、人類未踏となるこの挑戦は高く評価され、「植村直己冒険賞」を受賞している。

主な受賞歴に、上述した植村直己冒険賞を始め、最優秀生徒賞(秋田大学学生時代)、板橋区文化特別栄誉賞などがある。

秋田県秋田市内にある病院にて死去。死因は、脳腫瘍であった。41歳。上述した「白瀬ルート」単独徒歩の再挑戦へ準備を進めていた矢先、体調不良のため検査を行ったところ脳腫瘍が発覚。腫瘍の摘出手術を受けたあと、治療を継続していたという。

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