(みやがわたかお)
元プロ野球選手、広島カープ顧問・元スカウト部長。現姓は村上であり、メディアなどでは「村上孝雄」(むらかみたかお)とされることも多い。スカウトとして、北別府学・前田智徳・緒方孝市などを発掘したことで有名。
1936年、福岡県生まれ。福岡県北九州市に本拠を構える豊国学園高等学校を卒業後、都市対抗野球で活躍し、1959年のオフシーズンに広島東洋カープに入団。代打の切り札として活躍することが多く、また、出場試合数が100に満たないにもかかわらず、リーグ最多を記録するほど多数の死球(デッドボール)を受けたことから、「当たり屋」と称されることもあった。1974年シーズンを最後に、現役を引退。
プロ通算成績は、1960~1974年の稼働15年において889試合に出場、968打数267安打、ホームラン11、盗塁11、打率2割7分6厘。
現役引退後は、主に広島カープの九州地区担当スカウトとして、上述したようなのちに名選手となる多くのプレイヤーを獲得。また、1991年に、「宮川」から、夫人の姓である「村上」に改姓した。
福岡県北九州市にて死去。死因は、心不全であった。79歳。