政治家(ネパール)。ネパール会議派総裁・元首相。
1939年、ネパール東端にあるコシ州の州都ビラートナガル生まれ。1952年より若くして議会に参加し、中央労働委員会メンバー、事務局長、副総裁などを経て、2010年にネパール会議派総裁に就任。2014年には、議会によって首相に指名された。しかしながら、2015年4月に発生したネパール大地震への対応の遅さが批判の的となり、新憲法が制定されたこととも相まって、同年10月、僅か1年8ヶ月の在任期間で首相を辞任。その後、改めての首相就任を目指したものの、ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派の候補者であるカドガ・プラサード・シャルマ・オリに敗れ、再選はならなかった。
ネパールの首都で最大都市であるカトマンズにて死去。死因は、肺炎であった。78歳。ヘビースモーカーであることもあり、過去には舌癌や肺癌を患った経験もある。