湊谷弘

(みなとやひろし)
柔道家。柔道世界選手権における1967年ソルトレークシティー(アメリカ)大会、及び1969年のメキシコシティー(メキシコ)大会の優勝者(金メダリスト)として知られている。そのほか、1965年のリオデジャネイロ(ブラジル)大会、及び1971年のルートヴィヒスハーフェン・アム・ライン(西ドイツ)大会では準優勝(銀メダリスト)に輝いている。

富山県福野町(現在の富山県南砺市)に生まれ、道場を経営していた父の影響で5歳より柔道を始める。高校時代までは目立った成績を残せなかったものの、奈良県天理市の私立大学である天理大学に入学後、2年生となる1963年には先輩を打ち負かすほどに急成長。同年の全日本学生選手権大会・軽量級にて3位入賞を果たす。翌1964年には、全日本学生東西対抗大会にて優秀選手賞を獲得。同年の東京オリンピック代表候補にも選ばれた。大学4年生となった1965年には、当時明治大学に在学中で、東京オリンピックを制した中谷雄英を破り、同年にブラジル・リオデジャネイロで開催された柔道世界選手権代表に選出。同大会で銀メダルを獲得したのは冒頭で触れた通りである。

選手引退後は指導者としても能力を発揮。石川県の金沢工業大学にて柔道部を飛躍的に成長させ、北信越ブロックにて13年連続で優勝に導くなど輝かしい成績を残した。

死因は、心不全であった。72歳。4ヵ月ほど前に脳梗塞で倒れ、言語障害や右半身麻痺を発症。以後、完全に回復することはなく、亡くなってしまった。

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