吉田文雀

(よしだぶんじゃく)
人形遣い(人形浄瑠璃文楽)。紫綬褒章受章者。人間国宝(重要無形文化財)にも認定されている。

家族の影響で若い頃から歌舞伎や文楽に親しみ、文楽の楽屋に出入りしていたことをきっかけに舞台出演することとなる。当時は第二次世界大戦中であったために多くの人材が戦地に赴いており、人手不足だったことも舞台出演に駆り出された要因の1つと考えられる。正式に初舞台を踏んだのは1946年。品格と存在感を併せ持つ深みのある芸で、女方を中心に活躍。第二次世界大戦後における文楽の振興やその発展に大きく寄与したその功績は計り知れない。

当たり役に「酒屋」のお園、「二月堂」の渚の方、「仮名手本忠臣蔵」の戸無瀬、「菅原伝授手習鑑」の覚寿など。

死因は、心静止とされている。88歳。亡くなる半年ほど前に、日本芸術文化振興会および文楽協会とより引退が発表されていた。

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