伊藤淳二

(いとうじゅんじ)
実業家・企業家。鐘紡株式会社(現在のクラシエ株式会社)の社長や、日本航空株式会社の会長などを務めたことで知られている。また、日本航空会長として同社の経営立て直しに尽力した姿は、作家である山崎豊子氏の代表作「沈まぬ太陽」のモデルにもなった。

1922年、中華民国の青島市に生まれ、慶応大学を卒業後、1948年に鐘淵紡績(のちのカネボウ)に入社。着々とキャリアを積みながら実績を残し、1968年には45歳にして社長に就任した。事業の多角化を主とするその経営手法は「ペンタゴン経営」とも呼ばれ、薬品・食品・化粧品など多くの商品事業を育てた。1984年に会長に退き、1992年には名誉会長に就任した。その後も影響力を保持していたが、2000年代前半に同社が経営危機に陥った際には社長時代の事業の多角化や過大投資が業績悪化を招いたとされ、不正経理の事実が発覚したことも相まって、厳しく批判された。

1985年には中曽根康弘内閣総理大臣(当時)の要請を受けて日本航空株式会社の副会長に就任。翌1986年には会長となり、経営改革に取り組んだものの、労務政策などが批判を呼び、1987年に辞任に追い込まれた。

著書に、「理想」「人生」「天命」などがある。

死因などの詳細は不明。99歳。なお、死去の事実は、2年4ヶ月ほどが経過した2024年4月に明らかとなった。また、月のみで正確な死去日は公表されていないため、当サイトでは便宜上、日付を月初としている。

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