イビチャ・オシム

サッカー監督・サッカー指導者・元サッカー選手。旧ユーゴスラビア代表の最後の監督であった。日本においても、Jリーグにおけるジェフユナイテッド市原・千葉の監督時代にJリーグヤマザキナビスコカップ優勝を果たした他、日本代表監督も務めた。Jリーグ監督特別賞・Jリーグ功労特別賞などの他、日本での功績が認められ、旭日小綬章も受章した。

日本代表監督時には、脳梗塞で倒れ、緊急入院したこともある。危篤状態にまで陥ったが、奇跡的に意識を回復、後に日本サッカー協会とアドバイザー契約を結んだり、2010年FIFAワールドカップ・南アフリカ大会の組み合わせ抽選会の解説を務めたりするまでに至った。

彼が監督を務めたサッカー日本代表はオシムジャパンと呼ばれ、その時代に召集された選手は、川口能活・川島永嗣・楢﨑正剛・内田篤人・駒野友一・今野泰幸・田中マルクス闘莉王・中澤佑二・阿部勇樹・家長昭博・稲本潤一・遠藤保仁・三都主アレサンドロ・鈴木啓太・中田浩二・中村憲剛・中村俊輔・長谷部誠・本田圭佑・松井大輔・大久保嘉人・佐藤寿人・高原直泰・田中達也・播戸竜二・前田遼一・巻誠一郎など。「サッカーで走るのは当たり前です」と豪語するほど、「考えて走るサッカー」をテーマとしたサッカーを貫いた。

「日本人よ!」「考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか?」「恐れるな! なぜ日本はベスト16で終わったのか?」「オシム@愛と勇気」「信じよ!」などの著書の他、「オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える」「オシム 知将の教え―「伝わる言葉」で強い組織をつくる」「オシムの思考・ジーコの志向」「オシムジャパンよ! 日本サッカーへの提言」「オシムがまだ語っていないこと」「オシムの伝言」「オシム 勝つ日本」「オシム 終わりなき闘い」「オシム: ゲームという名の人生」など、関連書籍も多数。

死因は、心臓発作による突然死であった。80歳。

タイトルとURLをコピーしました