岩國哲人

(いわくにてつんど)
政治家・実業家・企業家。島根県出雲市長を2期、衆議院議員を4期務めたのを始め、自由民主党政務調査会顧問・民主党副代表・民主党国際局長・衆議院懲罰委員長・行政改革推進審議会専門委員・アメリカバージニア大学経営大学院客員教授・朝鮮半島問題研究会会長・日朝国交正常化推進議員連盟副会長・民主党新時代娯楽産業健全育成プロジェクトチーム顧問・日本国際フォーラム参与などを歴任。旭日重光章受章者。

東京大学法学部卒業後、日興證券に入社、パリ支店長やベイルート駐在員事務所長を務める。その後、バンク・オブ・アメリカの子会社である投資銀行・メリルリンチ社の日本法人で社長・会長を務め、さらにはメリル・リンチ・キャピタルマーケットのアメリカ本社にて上席副社長に就任するなど、企業家としてビジネスの世界で精力的に活躍した。

1989年、出雲市長選挙に初当選。政治家への道を歩み始めた。出雲市長時代には、大学三大駅伝の1つとなるまでに発展した出雲全日本大学選抜駅伝競走(通称:出雲駅伝)の創設に尽力したことで特に知られている。また、当時は日本最大であった木造ドーム「出雲ドーム」を出雲市矢野町に建設した。その他、医療情報などを集約し、行政をスムーズに進めるための「総合福祉カード」を導入するなど、市民のために奔走した。

出雲市長退任後の1995年には東京都知事選挙に出馬したが、落選。翌1996年に衆議院議員選挙に東京6区より新進党公認の上で出馬し、初当選を果たした。その後、新進党が解党する前に離党し、太陽党、民政党を経て、民主党に入党。衆議院議員を4期連続で務めた。政界引退後も自由民主党政務調査会顧問に就任するなど、影響力を持ち続けた。

晩年は、アメリカ合衆国のシカゴに在住していたが、現地にて亡くなった。死因詳細不明。87歳。訃報発表後、間もなく(10月9日)行われた第35回出雲駅伝では、関係者らが口々に当人の功績を称えながら、その死を悼んだ。

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