チリアーコ・デ・ミータ

政治家(イタリア)。1988~1989年にかけて、首相(第70代)を務めたことで知られている。「デ・ミータ」を「デミータ」とし、「チリアーコ・デミータ」とされるのを始め、「チリアコ・デ・ミタ」「ミータ,チリアーコ・デ」「ミタ,チリアコ・デ」「チリアーコデミータ」など、様々な表記がある。イタリア共和国南部にあるティレニア海沿岸のカンパニア州・アヴェッリーノ県・ヌスコ出身。

所属政党は、「キリスト教民主主義」や「イタリア人民党」を経て、「マルゲリータ・民主主義とは自由」→「民主党」→「白いバラ」(イタリア民主社会党(PSDI)などと組んだ「中道連合」)と推移。首相を始め、5年の任期を持つ代議員(下院)を11期(1963~2022年)に渡って務めた他、カトリック政党であったイタリア人民党の流れを汲むキリスト教民主主義(キリスト教民主党)の第15代書記長などを歴任した。

なお、首相の在任期間は1988年4月13日から1989年7月22日の1年3ヵ月で、内部の対立によって退陣を余儀なくされた。その際の大統領はキリスト教民主党のフランチェスコ・コッシガ(「コシガ」「コッシーガ」との表記もあり)であった。在任中の1989年には来日を果たし、内閣総理大臣(当時)であった竹下登との会談を実現している。首相退任後は、故郷であるヌスコにて町長を務めるなど、生涯に渡って政治家としての身分を貫いた。

イタリア・アベリーノにある施設にて死去。死因などの詳細は不明。94歳。亡くなる3ヵ月程前には、転倒によって大腿骨を折る怪我を負っていたという。

タイトルとURLをコピーしました