松井守男

(まついもりお)
画家。武蔵野美術大学・造形学部油絵科を首席で卒業後、フランス政府の給費留学生としてフランスに渡る。以後、1987年まで20年に渡って日本に一度も帰国せず、パリ国立美術学校やアカデミー・ジュリアンなどで学びながら、首都であるパリを拠点に活動した。その間、同じくフランスで制作活動を行っていたパブロ・ピカソとの出会いにも影響を受けつつ、数々の名作を生み出す。

1985年に発表された「遺言」では、自らそれを「遺作」と見なすほどの強い覚悟と決意で臨み、2年半の歳月をかけて完成させた。面相筆によって細かなタッチをで大画面に重ねるという特徴ある描画方法は、ここから生まれたという。

また、フランス政府より芸術文化勲章(2000年)、及び最高勲章であるレジオンドヌール勲章(2003年)を受章。「フランスの至宝」と称えられた。

上述した「遺言」を始め、「黒と白の風景」(Paysage en noir et blanc)、「三連祭壇画:磔・復活・昇天」(Triptych:La Crucifixion, La Résurrection, L’Ascension)、「生命の樹」(Arbre de Vie)、「ホープジャパン」(Hope Japan」)、「宇宙」(Univers)、「大和魂」(Yamato-Damashii)、「ナガサキを繰り返すな」(No more Nagasaki)など、メッセージ性の強い数々の作品がある。

個展を始めとする展覧会も数多い。1969年にパリ国立美術学校の「12人の画家」に選出され、パリにあるギャラリー・ド・フランスにて作品が展示されたのを始め、マドレーヌ教会での個展、パリ国立図書館での現代巨匠版画展、愛知県豊橋市美術博物館での個展、福岡県のアートギャラリー「三菱地所アルティアム」での個展、サンポール・ド・ヴァンス美術館でのアンドレ・ヴェルデとの交流展、中国・上海美術館での個展など、日本・海外を問わず各地でたびたび開催された。

死因は、虚血性心疾患であった。79歳。

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