米倉健司

(よねくらけんじ)
ボクシング指導者・元プロボクサー。ヨネクラボクシングジム会長・日本プロボクシング協会常任相談役・日本ボクシングコミッション役員実行委員。過去には、全日本ボクシング協会(現・日本プロボクシング協会)の会長も務めた。

1956年のメルボルンオリンピックにボクシング日本代表として出場(3回戦進出)。プロ転向後は、最短記録(当時)となる5戦目で日本フライ級王座に輝いた。さらにその後、OBF(現・OPBF)東洋バンタム級王座も獲得し、5度の防衛に成功した。

左目眼筋まひの影響により28歳でプロを引退し、ヨネクラジムを開設してからは、俳優・タレントとして活躍しているガッツ石松、および柴田国明・中島成雄・大橋秀行・川島郭志の5人を世界王者に育てあげた。その他、31人の日本王者や、9人の東洋太平洋王者を育てたことから、「チャンピオンメーカー」とも呼ばれた。スポーツ功労賞も受賞した。

死因詳細不明。88歳。

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