池田敬子

(いけだけいこ)
体操競技指導者・教育者・元選手。三原市名誉市民。瑞宝中綬章受章者。受賞歴に、横浜文化賞・日本体操協会功労賞など。全日本選手権での個人総合優勝回数10回は、体操女子界における最多記録となっている。

20歳で初出場した1954年のローマ世界選手権では、体操女子・種目別の平均台で、日本女子として初めての優勝に輝き、「ローマの恋人」と呼ばれ称えられた。その後、メルボルン(1956年)・ローマ(1960年)・東京(1964年)の各オリンピックに、体操女子日本代表として出場。特に東京オリンピックでは、2児の母親として30歳で臨み、団体での銅メダル獲得に貢献した。

引退後は、後進の育成に尽力。日本体育大学名誉教授・同大学副学長・日本体操協会副会長・全日本ジュニア体操クラブ連盟会長・花園大学客員教授などを歴任。2002年には、日本女子の体操界において初めての国際殿堂入りを果たした。

著書に「人生、逆立ち・宙返り」がある。

介護施設にて死去。死因は、脳腫瘍であった。89歳。

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