ボビー・チャールトン

元サッカー選手・指導者(イングランド)。現役時代のポジションは、FW(フォワード)もしくはMF(ミッドフィールダー)。イングランド代表や、プレミアリーグの名門クラブチームであるマンチェスター・ユナイテッドで活躍し、イングランド史上最高の選手との呼び声が高い。同じく元サッカー選手・元イングランド代表で、伝説的選手と言われているジャッキー・ミルバーンの甥。旭日小綬章受章者。

ノーサンバーランド州のアシントンに生まれ、1954年に弱冠17歳にしてマンチェスター・ユナイテッドに入団。ほどなくして中心選手として活躍し、リーグ優勝に貢献した。1958年には「ミュンヘンの悲劇」と呼ばれる飛行機事故(マンチェスター・ユナイテッドのチャーター機の事故)に遭遇し、乗客44名のうち23名(うち選手は8人)が死亡するという悲劇を当事者として目の当たりにするという辛い経験もしている。

また、イングランド代表として、1958年のワールドカップ・スウェーデン大会、及び1962年のワールドカップ・チリ大会に出場した他、1966年における自国開催のワールドカップ(イングランド大会)では大活躍を果たし、初優勝の立役者となった。さらに、1968年には、所属チームであるマンチェスター・ユナイテッドにて欧州チャンピオンズカップ(現・欧州チャンピオンズリーグ)の制覇に貢献した。

獲得した主な個人タイトルに、1966年のバロンドール(世界年間最優秀選手)を始め、FWA年間最優秀選手賞(1966年)、イングランドサッカー殿堂入り(2002年)、FIFA100(国際サッカー連盟FIFAの創設100周年を記念して選ばれた「偉大なサッカー選手100人」)選出(2004年)などがある。

1994年、イギリス王室よりナイト爵位「サー」を授けられ、名実ともに「サー・ロバート・チャールトン」と呼ばれる国民的英雄となる。日本のサッカーにも深い関わりがあり、2002年のワールドカップ招致では、日本の親善大使に就任している。

死因などの詳細は不明。86歳。晩年は、認知症であることを公表していた。死去の事実は、マンチェスター・ユナイテッドより発表された。

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