寺山恵美子

(てらやまえみこ)
元バレーボール選手。女子バレーボール元日本代表。旧姓は「宮本」で、現役時代は宮本恵美子(みやもとえみこ)の名前で長きに渡って活躍した。

和歌山県和歌山市に生まれ、県立和歌山商業高等学校を卒業後、強豪の実業団チームとして知られていた日紡貝塚(現:ユニチカ・フェニックス)に入部。その猛監督ぶりから「鬼の大松」と呼ばれた大松博文監督(当時)の下、厳しい練習によって着々と実力を積み上げ、1m72cmの長身を誇る貴重なサウスポーのアタッカーとして日本トップレベルのプレイヤーに成長。欧州遠征で24連勝を果たすなど、「東洋の魔女」と呼ばれて世界に恐れられた女子バレーボール日本代表において、主力メンバーとしてチームを牽引した。

1960年にブラジルのリオデジャネイロで行われた世界選手権では銀メダルを獲得。1962年にソビエト連邦(当時)のモスクワで行われた世界選手権では、チームを優勝に導いた上、MVP(最優秀選手)にも選出された。さらにその後、1964年に開催された東京オリンピックでは、見事に金メダルを獲得。長身から繰り出される強烈なスパイクを中心としたプレイぶりは、「世界一のアタッカー」として国際的にも絶大なる評価を受けた。

東京オリンピックの翌年(1965年)に現役を引退、同オリンピックのバスケットボール代表チームの強化コーチだった男性と結婚。以後、地元茨城県において、後進の指導にあたったほか、講演会などにも取り組んだ。

茨城県高萩市にある病院にて死去。死因は、敗血症であった。86歳。

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